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紙ごみの日。
部屋のあちこちを見回って捨てるべき箱を探す。
今日、ふと気が付いたのは冷蔵庫の中の箱。
発熱時におでこに貼るやつとかって誰がいつ使ったよ?
消費期限とか気にしなくていいものだとは思うけど
なぜか2月の声を聞いてから、お掃除ブームが来てる。
それもかなり徹底的に…。
今日はお風呂の排水口をふさいで防水パンに水溜めて
そこに漂白剤ダダ―――っと入れて
お風呂すのこ、お風呂のふたも浸し込んでる。
うちのお風呂は築50年にしては
ふろおけ埋め込み型とか総タイル張りとかではなく
まるで洗濯機置き場みたいな防水パンに
ステンレスのバスタブがポンとおいてあるタイプ。
だからこんなふうにパンに水溜めてバスタブの底まで除菌できる。
排水口をきちんとふさぐことがキモなんだけど。
見えないところの汚れが気になる方だから
このお風呂場の仕組みはとても性に合っている。
私は、お洋服は着倒す、靴は履き潰す。
それがたくさんのものを持たない一つの方法と思ってる。
そして、3度目の冬を終えようとしている日々のユニフォーム。
週4日の営業日をこの3枚の着回している。
さすがにクッタリしちゃってるし
ところどころに漂白剤の脱色の跡など💦
3枚とも着やすくて、超お気に入りなんだけど
これを着て例えば駅前までのお買い物行くには
ちょっとはばかられる感じにはくたびれてきちゃってる。
買い換えようかなー、どうしようかなー
と思いながら、未だに踏ん切りつかず。
この週末も結局3枚並べてお洗濯した。
少ないもので暮らしたいといつも思っているのに
どうしてこういう試供品が溜まるのかという話。
1人で温泉に行ったりするのが好きだから
そういう時に使おうと思ってるんだけど
コロナのせいで٩(๑`^´๑)۶それもままならず・・・
の2年間のうちに溜まっちゃったんだよね。
なので今日から当分の間はここからいろいろ使うのだ!
持たない暮らしなんてカテゴリーつけてるけど
正直、狭小住宅に住む工夫だったりするのよね。
うちはフェイスタオルはバスタオル替わり。
ハンドタオルがフェイスタオル。
お洗濯物的にも片付ける時にもかさばらないから。
こうやって乾かしたあとはたたまずカゴに突っ込む。
だってどうせすぐにどんどん使うからー。
狭小住宅リノベシリーズ4回目。
と言っても今日はリノベの話ではなく
「ものを持たない暮らし」カテゴリー。
前回、キッチンの壁を塗るにあたり取り外した
キッチンパネルネットを新調しました。
今までの2倍の大きさにしたので
これまでなにかと重ねて掛けていた小物道具を
全てひとつのフックにひとつずつ下げられるようになり
手に取りやすく片付けしやすくなりました。
日常使う鍋はこれでほぼ全て。
手前の棚に置いてあるのはご飯を炊く土鍋。
この他に麺類を茹でたりおでんを作るような大鍋がひとつと
冬に活躍するお鍋用の土鍋がひとつ。
それは戸棚の方にしまってあります。
あと、ザルやボールはネットとは反対側のシンクの上にぶら下がってます。
そしてガスコンロにいつも鎮座しているこのお気に入りのヤカン。
もうだいぶ長く使っているので外も中もきれいとは言い難いですが
これがコンロの上にあるとなんとなくホッとするのです。
いつもいろんなところに書いてますが
冷蔵庫とヨーグルトメーカー以外の電化製品のないキッチン。
でも、今の私の身の丈にはあっているみたいです。
「持たない暮らし」なんていうカテゴリー作ってたんだね。
今日はまさにそのカテゴリーにピッタリのネタ。
私は「いまここの自分」が必要としない物に囲まれて生活していると
その物たちに心や時間の隙間を奪われ
結果として自分の人生を大切に生きられなくなると思っていて
なるべく物を持たない暮らしを心がけている。
今日はキッチンをできる限り広く使うための断捨離話。
キッチン家電についてはここ数年の間にだいぶ減らしてきている。
積極的に処分するというのではなくて壊れた時に買い替えないという形で。
大きいところでは「炊飯器」と「電子オーブンレンジ」かな。
オーブンレンジを買い替えないと決めた時に
自分の中から「お菓子作り」を処分した。
小さい子供がいなくなったここ数年は
クッキーを焼こうみたいな気持ちになることもないし。
お菓子作りを処分したことで軽くダンボールひとつ分くらいの
ケーキ型やクッキー型、大きなボール、電動泡だて器などを全て処分できた。
そう考えたら、子供が巣立ったことで不要となったものってたくさんある。
ホットプレートとかたこ焼き機とかも、子供とワイワイやってこそかなって。
コーヒーメーカーも処分した。
これはハンドドリップでなんの問題もないけれど
無意識に「大勢を家に招くこと」を処分したのだと思う。
と書いていくと「寂しくない?」って思われるかもしれないけれど
今の自分に必要ない、手に負えない、ある方が苦しい物なので平気。
で、今日はそのオーブンレンジや炊飯器が鎮座していたエレクター。
乗せるものがないのにあれば結局いろいろ乗せる。
たいていは缶詰とかインスタントものとか。
置くなら置くで効率的なように…とプラスチックのかごなんか置いて
ついついそれが増えて使うかどうかもわからない古タオル入れていたり。
そういうのが時々とてつもないストレスを私に与えてくる。
つまり。
このエレクターがあることがダメなんだよなぁ〜と。
たいてい不要な物が増える原因は、その物をしまう場所があるから。
私はそう思う。
というわけで、本日はまずそれを何とかするというところから。
まずは、他の部屋でこれを使う余地があるかどうか考える。
どう考えても…ない…あるとすれば外。
ベランダに並んでいる植木鉢とかを乗せたら便利そう。
棚として丈夫だし。
だけどベランダには前の家から持ってきてしまった木の棚が置いてあって
いや待てよ、あれ置いてあるだけじゃん、木製だから朽ちてきてるし。
これが全てです!(笑)
基本的に持ち物は少ない方がいいと思って暮らしている。
デザインとか最新じゃなくていいの。ある中から選ぶから〜。
写真のチャド君は先週届いたもの。
また1年よろしくね。
愛車が直って帰ってきたばかりだというのに、今度は電子レンジが壊れた。
ただ、お正月を前に心配事はいくつか。
1日1ヶ所くらいの感じでスッキリしたい。
…と思って本日はここ。
必要で買い続けて、たまり続けたお店の備品。
何が入ってるかインデックスしてあるけど
(これは引き出し閉めると中身を忘れる私にとってはとても大切!)
必ずしもそうじゃないものも入っていて・・・汗
「よし!」と取り掛かったのですが・・・
私、ホッチキスいくつ持ってるんだ?
一個残して捨てよう・・・いや、誰かいるかな?
という事でつまづいている「今ココ」です。
ふぅーーー(大きなため息)
先日、アトリエでの手芸教室の時。
生徒さんがご自分のお勤めになっている高齢者施設で
クリスマスのディスプレイを頼まれて…というお話をしていた。
「ツリーでも買ってくれたらいいんだけどー」って。
オォォー!!w(゚ロ゚)wクリスマスツリーが欲しいとな?
実はまだ捨てる気持ちになれずにいるものの中に
以前住んでいたマンションでは飾れたけれど
今は飾る場所もなければ飾る気持ちの人もいない
割と大きめのクリスマスツリーがありまして。
めでたく再び綺麗に飾ってもらえることとなりましたー!
ツリー、天袋の中とかクローゼットの奥で
ひっそりと眠らせている人って結構いると思うんだよね。
なにかうまい方法で欲しい人の元に行けるといいね。
楽しかった家族の1ページをありがとう。
頭の中を語る時
「この考えに至った理由は・・・」
みたいな出だしをしないとなんとなく気持ち悪い…
そう感じる私なんだけど
それ言ってるといつまでも先に進まないから
この辺で見切り発車してみようと思って
今日から書き始める私の
「目指せ、持たない暮らし」カテゴリー記事。
そうは言ってもきっかけはひとつ。
2015年に長男を自死で失った事。
彼の亡くなった後
彼が暮らししていた部屋を片付けながら
その膨大な数のCD、楽器、機材に圧倒された。
そして「この子は物に殺された」
…そう感じたのだ。
ミュージシャン志望だった彼は
その夢を含めて「自分を変えたい」と思った時に
結局、物質的にも精神的にも何も捨てられず
全てを抱え込んだままで自分を捨ててしまった。
彼が文字通り抱えたくないのに抱えていた物は
彼のいなくなった部屋から五万円で運び出されていった。
それは空しいことではあったけれど
お部屋に残っていた音楽的な夢の遺産を
たくさんのお友達がもらってくれたり
最終的にはリサイクルに回すお手伝いをしてくれた
彼のお友達に感謝しているのは確かである。
我が家がとても広ければ私はそれを引き取ったかもしれない。
直後は彼に関するものを一つも手放したくなかった。
だけどそれは不可能だったし
今にして思えば不可能でよかったのだ。
私はもちろん彼を愛していたけれど
彼の夢は彼のものであって
私のものではない。
彼の愛用のレコーディング機材も
シンセもギターも私が使えるものではない。
それらは今どうなったかわからないけれど
私が死蔵するよりは良かったのだ、そう思う。
その頃。
ふとあちらの世界に片足突っ込んだような状態から
「今」に気持ちを戻してみたら
世の中には「ミニマリスト」という言葉があり
いろいろな本が出ていたり、テレビで特集をしていたりした。
ある日、書店で一冊の本を手に取った。
佐々木 典士さんという方がお書きになった
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」
佐々木さんにTwitterで
「息子は物に殺されました」と書いてみたら
「手に負えないものを抱え込んだ生活は
自分からいろんなものを奪います」
というお返事を下さって…
それが本当に腑に落ちた。ストーンって。
(佐々木さん、ありがとうございました)
そこからいろいろな本を読んだ。
ミニマリスト的なものもだけど
平行して神様の本も読んでいた。
日々、新しい祖霊舎に榊と神饌を供える
ただそれだけのために生きていた感じもあった。
思想とか宗教観みたいなものは後からついてきた。
最初はとにかく形。
朝早くに起きて部屋を清浄にすること。
神様は清浄なところにいらっしゃるらしいから。
私は部屋を清浄にすることで息子がそばにいてくれる
それを盲目的に信じ、日々掃除をしていた。
他には何もしなかったし、できなかったのに。
そんな生活を続けているうちに
清浄な空間には本当に神がいるような気がしてきた。
そのうち、長年使っていない物とか着ていない服
さらには10年とかいう単位で作りかけの趣味のもの
今の生活には不必要な食器やキッチン道具。
そういう様々なものから負の気を感じるようになった。
まぁ、そういう経過で目指せミニマリスト!
みたいな生活をしているんだけど
あくまでも目指しているだけで、そうはなってない。
そもそもミニマリストを目指しているわけでもない気もする。
ただ、自分が「大切」と思えるもの
愛情をもってまなざしを注げるもの
そういうものだけに囲まれて
そういうものを丁寧に、大切にできる生活をしたい。
そんな日々のことをたまに書いていきます。
(なんだかんだ言ってやっぱり挨拶めいた事、書いてんじゃん)