今日は朝からプンプン!と思う記事読んじゃって
自分の平常心を取り戻すのに数時間を費やしました。
その記事ってのがこれ。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/amakinaoto/20140609-00036167/
こういう載せ方して大丈夫?・・・ま、いいや。
腹立ってんだから。なんか言って来たら受けて立つから。
私の周りの人は大体ご存知だと思うけれど
私の叔母(母の妹)は特定失踪者リストに入っています。
看護学校の卒業間近に秋田の海辺の町で姿を消しました。
母は80歳を超えてなお、その会の活動中。
青森(八戸市)在住ですが、時々内閣府からのお呼びがかかって
上京したりしています。
娘の失踪を解決できないうちに亡くなった祖父母に
「妹は私がきっと見つけるから」と誓ったと言い
本当はもっとのんびりと田舎で草木染めでもしていて欲しいんだけど
そんなわけには行かない、と今も講演や署名活動の日々。
私は叔母に会ったことすらないのですが
田舎で父が亡くなり、母を応援していた弟(叔父)が亡くなり・・・
母の身の回りがさびしくなるに連れて
こんな時に叔母がいてくれたら・・・と思うことも多いです。
だけど、私に何ができるわけでもありません。
せいぜい上京した母を霞ヶ関まで連れて行ったり
署名に協力したり、ブルーのバッチを購入したり・・・そんなもんです。
「いつまでもそんなことしてないで」
「過去にとらわれて生きるのはやめたら」
そんな言葉は親戚の中でも出てきます。
そうできるならそうしてるでしょう。
誰だって苦しみ抱えて生きていたくないんだから。
でも、そこにとどまらざるをえないのは当事者や家族のせいじゃない。
しかたないでしょ。。。
こんな記事を書いた人に言いたい。
祈るしか出来ないこともあるのだ・・・と。
当事者でも家族でもないけど、日本人として心を痛めてる人の祈り。
その祈りが被害者家族の活動を支えている。
そしてここまでの長い時間、風化することなく
つねに政治の中や世論やいろいろな北問題のたびに語られている。
もちろん、解決して欲しい。
だけど、それに向けて直接行動するっていうのは
やっぱり出来る人と出来ない人がいる。
もしかしたら娘としてはいろいろ思うけれど
今も活動できる体力を持つ母すら、幸せだといえるのかもしれない。
たぶん活動も出来ず、ただひたすら祈ってる人だっているはず。
久しぶりにこの写真を貼ります。
8年ほど前、私の手作り仲間がそんな祈りを込めて
ブルーのリボンをモチーフにしたピースを縫ってくれたものです。
その祈りを私が一枚のキルトにまとめました。
祈りは力となる。
そう信じたいです。